徳仲加文庫

徳仲加文庫は、古唐津をはじめとする日本の古陶磁や、王朝時代を中心とする琉球美術など、文化資料を蒐集・保存し、広く研究と文化交流に役立てることを目的として設立された私設文庫です。

所蔵品

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鄭嘉訓(古波蔵親方)

1767~1832

紙本 掛幅装

縦142.5×横65.0

浮雲舒五色瑪瑙應
霜天玉葉散秋影金
風飄紫煙


近世琉球を代表する書家。久米村鄭氏16世、名は古波蔵爾方。王府の文書筆写を担う漢字右筆相附役を勤め1796年には読書習礼のため渡清した。1806年、尚灝王即位謝恩使に随行して江戸へ赴き1816年に島津斉興の招聘により鹿児島で薩摩藩士の筆法指導に当たった。同年、紫金大夫となり、1824年には久米村の最高官・総理唐栄司(久米村総役)に就任した。鄭嘉訓の書は楷書に趙孟頫・董其昌、行書に米芾の影響が強いとされる。

鄭嘉訓(古波蔵親方)

1767~1832

紙本 掛幅装

縦119.5×横41.7

巫山高不極合沓状奇新暗谷
疑風雨陰崖若鬼神月明三峡
暁潮満九江春為問陽臺客應
知入夢人


鄭嘉訓は近世琉球を代表する書家であり、久米村の官人として王府外交にも関わった。鄭嘉訓の名は琉球のみならず筆法指導で滞在した薩摩、そして遠く江戸まで広く知られ、その書風は後世に大きな影響を与えた。本作は唐代の詩人・張循之の漢詩「巫山高」である。

鄭嘉訓(古波蔵親方)

1767~1832

紙本 掛幅装

縦113.0×横45.2

海棠初種竹移流水潺潺
入小池春雨乍春風日好一
聲啼鳥過花枝


鄭嘉訓の書は現在も沖縄のみならず鹿児島にも数多く伝わっており特に行書や草書にその卓越した技法を見ることが出来る。本作は明代の女性詩人・夏雲英の「雨春」である。一字一字を均等に整えるというより、文字の大小、傾きを変化させながら全体の流れを作っていて丸みを帯びた転折や連綿的な動きが感じられる。

鄭嘉訓(古波蔵親方)

1767~1832

紙本 掛幅装

縦137.5×横73.8

遠上寒山石径斜白
雲深處有人家停車
坐愛楓林晩霜葉紅
於二月花


この作は唐代の詩人・杜牧の名作「山行」である。起筆から終筆に至るまで抑揚に富み、とりわけ「斜」の最終画に見られる縦線や、「雲」「家」などのゆったりとした収まりには運筆の緩急と躍動感がよく表れている。鄭嘉訓はこの詩をことのほか好んでいたようで「山行」を題材として同時期に揮毫したと思われる作品が複数現存している。

鄭嘉訓(古波蔵親方)

1767~1832

紙本 掛幅装

縦130.5×横62.5

手培蘭蕙両三栽日暖
風微次第開坐久不知
香在室推窗時有蝶飛


明代の文人・文徴明の詠蘭を揮毫した本作は題材の情景を表してるようで力強さの中にも繊細で気品を感じる。鄭嘉訓の書風は作品ごとに表現が豊かで多彩である。中山とあるので旅先での書作と思われる。

鄭嘉訓(古波蔵親方)

1767~1832

紙本 掛幅装

縦122.0×横53.5

苕嶢太華俯咸京天外三峰削不
成武帝祠前雲欲散仙人掌上雨
初晴河山北枕秦関険駅路西連漢
畤平借間路傍名利客無如此處
学長生 戌子仲夏


唐代の崔顥の詩、行経華陰である。珍しく干支を入れていて制作されたのは戌子(つちのえね)で西暦では1828年に当たる。還暦を超えて老境に入り感情を抑えて淡々とした、ほのぼのした雰囲気が感じられる。

Screenshot

鄭嘉訓(古波蔵親方)

1767~1832

紙本 掛幅装

縦109.0×横44.5


只謂一蒼翠不知猶
数重晩来雲映處更
見両三峰


唐代の官僚・詩人の裴夷直の詩である。肥瘦変化に富み、躍動感と洒脱さを感じさせる。なお、鄭嘉訓の関防印は経徳堂、落款印は鄭嘉訓印、爾方が通例であるが、何故か同じ久米村の人物の梁維陞(1788~1837)の印が押されている。

巻頭部分
巻末部分

鄭嘉訓(古波蔵親方)

1767~1832

紙本 巻子装

縦31.5横約16m

Screenshot

鄭元偉(湖城親方)

1792~1864

紙本 掛幅装

縦114.5×横53.0


慎爾出話敬爾威儀
無不柔嘉白圭之玷
尚可磨也斯言之玷
不可為也


鄭嘉訓の次男で名は長烈。琉球名では湖城親方と称される。北京への陳情使や徳川家慶の征夷大将軍就任の慶賀使に儀衛正として随行した。鄭嘉訓の家系は孫に至るまで能書家が多いことで知られるが特に鄭元偉は、父嘉訓とともに近世琉球の代表的書家として知られている。中国や日本の古典への造詣も深く、力強い中にも折り目正しい書風には父を範としながら自ら切り開いた独自の境地が感じられる。

梁光地(當間親方)

1768~1837

絹本 掛幅装

縦117.0×横31.5


堤上春風柳絮江間
秋水藘花




梁光地は久米村の梁氏・上江洲家十三世にあたる。音楽や書に秀でていて1827年には紫金大夫となる。1806年の江戸上りでは鄭嘉訓と共に随行し楽師を勤めた。その際に江戸の儒者・成島司直が二人から琉球の書画や学問について聞き取った「琉球録話」で琉球では米芾・趙孟頫・董其昌などの法帖が学ばれ、とりわけ趙孟頫の書法を学ぶ者が多く、自分たちも趙孟頫を学んだと述べている。

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